2019年02月13日

黒沢明とロス・プリモス(ラブユー東京)

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黒沢明とロス・プリモス


1961年から2010年5月まで活動していた森聖二がメインボーカルを勤め、日本ムード歌謡界を代表するグループである。

旧グループ名は「黒沢明とロス・プリモス」。

2010年6月からは、メンバーを替え「永山こうじとロス・プリモス」に改称。

現在は再び「ロス・プリモス」として活動している。

1961年、ラテンコーラスグループ「黒沢明とロス・プリモス」として結成。なお、黒沢は、映画監督の黒澤明と同姓同名であるが別人である。

1965年にメインボーカルに森聖二を新たに迎え“大人にも楽しめて唄える歌”として、1966年4月、クラウンレコードよりA面「涙とともに」B面『ラブユー東京』の作品でデビューした。


ラブユー東京


1966年に発売された黒沢明とロス・プリモスのシングルで代表曲ある。

作詞:上原尚/作曲:中川博之

初回出荷はわずか1000枚に留まった。

発売当初のA面曲は「涙とともに」であった。

実際、当時のロス・プリモスは自身のテーマ曲として「涙とともに」を歌うことが多かった。

しかし発売から半年後、山梨県甲府市のホステスの間で「ラブユー東京」が話題になり、また作曲した中川博之と友人で後に推理作家としてデビューする内田康夫が制作に係わった深夜ラジオで連夜「ラブユー東京」を流し、次第に知名度が上がる。

1967年7月、ジャケットデザインを差し替え、「ラブユー東京」がA面曲に昇格する。

オリコンシングルチャートが正式に発表されるようになった1968年1月4日付で1位を獲得し、記念すべき1曲目の1位獲得曲となった。

オリコンチャート圏内でのセールスでは30万枚そこそこだが、実際はその前にかなりヒットしていたとされている。

wikipedia

この曲は、オリコン最初の1位になった曲で、累計売上は通算250万枚だそうです。すごい枚数ですね!カラオケでも70年代から80年代前半ごろまで大人気の曲でした。歌ったという人も多いのではないでしょうか

80年代は、オレたちひょうきん族で替え歌で(ラブユー貧乏)も人気になり黒沢明とロス・プリモスも再度人気になりました。面白かったです。私も毎週オレたちひょうきん族を観ていました。

1967年当時の白黒の黒沢明とロス・プリモスの動画がありました!貴重映像ですね!












ラブユー貧乏


オレたちひょうきん族(ラブユー貧乏)


posted by aritama at 16:24| Comment(0) | グループ

2018年11月16日

原みつるとシャネル・ファイブ(稚内ブルース)

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原みつるとシャネル・ファイブ


かつて存在したコーラスグループ、ロックバンドである。

「ダイナミック演法」で知られる実力派グループであり、内山田洋とクール・ファイブに強烈な影響を受けたグループとしても知られる。

演奏の技量は非常に高く、原みつるのサポートでは歌謡曲を主に演奏していたが、新田憲幸のボーカルでは歌謡曲、ポップス、スタンダード、ディスコミュージックと実に幅広いジャンルを演奏していた。

「原みつるとシャネル・ファイブ」名義でシングルを5枚、アルバムをオムニバス参加を含めて3枚、原が「平田満」としてソロデビュー後に、「シャネル・ファイブ」名義でシングル1枚、「平田満+シャネル・ファイブ」名義でシングル1枚、アルバム1枚をリリースしている。


稚内ブルース


1971年7月に、原みつるとシャネル・ファイブがリリースしたデビューシングルである。

作詞・作曲藤本卓也

ジャケット表面に「ダイナミック演法第一弾!!」と銘打たれ、演奏の実力を売り物にしており、またジャケット内面には、「知床から稚内へ」「長崎から北海道へ」という文言が書かれ、前年の最大のヒット曲のひとつ加藤登紀子の『知床旅情』、長崎市で結成された当時の人気グループ「内山田洋とクール・ファイブ」が意識されていた。

wikipedia

原みつるは、ソロでは平田満になり、作曲家では幸斉たけしで多くの歌手に曲を提供しています。

(稚内ブルース)は、1988年に鳥羽一郎がリリースしていますが、カバーではなく、まったく違った曲です。






posted by aritama at 15:50| Comment(0) | グループ