2017年03月30日

五木ひろし(千曲川)

千曲川


ちくまがわは、1975年5月に五木ひろしが発売したシングルである。

作詞:山口洋子/作曲:猪俣公章

1975年の勝負作として投入された旅情演歌「千曲川」はもともと猪俣公章が春日はるみ(新人時代の川中美幸)の不振を打開するために用意した作品で、星野哲郎によってタイトル(「笛吹川夜曲」)も詞も既にでき上がっており、LPに収録された。

しかし、かねてより五木の“NHK紅白歌合戦での初トリと2回目の日本レコード大賞獲り”を願っていた山口洋子は、この三拍子のメロディーの美しさに惚れ、猪俣からこれを譲り受ける。

信濃川と名前を変え滔滔(とうとう)と日本海に注ぐ“日本一の大河”千曲川を詠った明治の文豪・島崎藤村の「千曲川旅情の歌」に感銘を受けた山口は、これを「千曲川」に改題し、敢えて現地には赴かずに東京に居ながら現地の情景を憧憬にも似た想いで詞を練ったという。

その際、演歌にありがちな愛や色恋や情の部分を廃した。

これらが功を奏し、最高位6位、登場週数42週、45万枚を超える売上げを記録、五木の代表作のひとつとなる。

この曲で第4回東京音楽祭国内大会ゴールデン・カナリー賞を2年連続2回目の受賞、世界大会へ2年連続2回目の出場。

また、第4回FNS歌謡祭'75音楽大賞下期最優秀視聴者賞(4期連続4回目)、第1回日本テレビ音楽祭グランプリ、第6回日本歌謡大賞放送音楽賞(5年連続5回目)、第6回日本歌謡大賞放送音楽特別連盟賞(受賞理由:5年連続での放送音楽賞受賞に対して)、第17回日本レコード大賞最優秀歌唱賞(2年連続2回目。通算・連続ともに歴代第1位)をそれぞれ受賞。

初めての白組トリを務めた第26回NHK紅白歌合戦でも歌われた。

五木はこの曲について「音域が意外に広く、迂闊には歌えない難しい曲」と語っている。

山口は晩年「(自身の作品の中で)今でも“千曲川”が一番好きです」と述懐している。

後年、この歌碑が長野県戸倉上山田温泉・萬葉公園内の千曲川を臨むことのできる位置に建立される。

wikipedia

千曲川は長野県を流れる川ですが、新潟県に入ると信濃川に名前が変わるそうです。

長野県のご当地ソングです。

山口洋子が言うようにメロディーが本当に美しいです。情景が思い浮かぶ癒される曲ですね

最初の動画では、若い頃の五木ひろしが登場しますが、歌ってはいません。風景を楽しみながら聴いてください。






五木ひろし全曲集 スーパーヒットコレクション


posted by aritama at 14:46| Comment(0) | 五木ひろし

2016年05月08日

五木ひろし(おまえとふたり)

五木ひろし


福井県三方郡美浜町出身の演歌歌手、作曲家

第15回コロムビア全国歌謡コンクールにて優勝、コロムビアの専属歌手となる。

“松山まさる”を芸名として、コロムビアから「新宿駅から/信濃路の果て」でデビュー。

“一条英一”に改名して、ポリドール・レーベルから「俺を泣かせる夜の雨/流れ星(B面は愛田健二)」で再デビュー。

“三谷謙”に再び改名して、「雨のヨコハマ/東京 長崎 札幌」で再デビューを果たすもヒットに至らず。
デビューしてから約5年間の間に2度も芸名を変更するなど不遇の時代を過ごす。

1970年、オーディション番組『全日本歌謡選手権』に、歌手生命のすべてを賭けてミノルフォン専属のプロ歌手“三谷謙”として出場。

10週連続で勝ち残り、グランドチャンピオンに輝く。これにより、レコード歌手として再デビューできる権利を獲得。

1971年3月、新しい芸名を“五木ひろし”として、ミノルフォンから再デビューを果たす。苗字の「五木」は山口洋子が五木寛之から頂戴した。また、「いいツキをひろおう」という意も入っている。


おまえとふたり


作詞:たかたかし 作曲:木村好夫 

1979年10月に発売したシングルである。

ミリオン・セラーを記録し、五木ひろし最大のヒット曲である。また、この曲で初めてTBS系『ザ・ベストテン』のベストテンにランクインし、週間1位も唯一記録した。

wikipedia






おまえとふたり


posted by aritama at 18:25| Comment(0) | 五木ひろし