2019年09月12日

平和勝次とダークホース(宗右衛門町ブルース)





平和勝次とダークホース


1971年結成されたコミックバンド。初舞台は吉本興業大阪のうめだ花月。ムード歌謡コーラスグループに分類される場合もある。

平和勝次(へいわ かつじ)

広島県竹原市出身。

父は浪曲畑で宮川左近ショーに結成直後の1年のみアコーディオン担当で在籍経験のある高島和夫、母も浪曲関係、弟に笹山サンバがいる。

両親がドサ廻りで転々し、竹原中学校卒業後、両親に会うために大阪に出て浪曲師冨士月子に弟子入りし冨士月坊、5年後年季明けし「水中軒土左衛門」の名を貰う、浪曲だけでは生活が苦しく大阪の繁華街で流しを始める。

1967年二代目若葉わたるとして「若葉トリオ」に参加。

その後、漫才師になり、現三代目平和ラッパと「平和勝一・勝次」というコンビで吉本興業に所属し、お笑い歌謡ショーを演じた。

1972年「平和勝次とダークホース」メジャーデビュー。


宗右衛門町ブルース


作詞:平和勝次 作曲:山路進一

元々は平和勝次が漫才のネタとして披露していた「宗右衛門町ブルース」をジャケットを事務所の先輩ジャズ漫画の木川かえるに描いて貰いB面を旧友であった桂小春の「ペケペン落語」を吹き込み自主制作で500枚をプレスし、当時堺にあった有線放送に100枚を預けた。

すると堺の盛り場から火が付き始め、次いで函館の有線でも評判になった。

それを日本クラウンの大阪制作宣伝部長が聞きつけ、1972年12月5日にメジャーデビューすると200万枚の大ヒットとなり、一躍その名が知られることとなった。

この曲のヒットで宗右衛門町の名前は全国区となり、町会から平和勝次に感謝状も贈られた。

「宗右衛門町ブルース」の原曲は北原謙二の「さよなら さよなら さようなら」

(作詞:星野哲郎、作曲:山路進一)だが、歌詞はサビの「さよなら さよなら」のフレーズを除き全面的に書き直されている。

Wikipedia

北原謙二の「さよなら さよなら さようなら」の歌詞を変えて、ムード歌謡調にしたら200万枚の大ヒットになったとは驚きました。

北原謙二の「さよなら さよなら さようなら」掲載しましたので、聴き比べてみてください。

大ヒット曲なので、カバー動画がたくさんありました。









北原謙二「さよなら さよなら さようなら」


アローナイツ


宮史郎


前川清


八代亜紀


神野美伽


松尾和美


長山洋子



posted by aritama at 15:24| Comment(0) | グループ
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: