2019年05月02日

江利チエミ(酒場にて)

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江利チエミ


東京市下谷区(現・東京都台東区下谷)出身の歌手・女優・タレント

“少女歌手・江利チエミ”のルーツは「生活を支えるため」であり、この点は美空ひばりとの相違である。

ひばりはひばりの母親のなし得なかった「歌手になる」という夢と、自身も歌が好きで非常に巧かったということが合致し、マメ歌手の人生をスタートするが、豊かではないまでも実家は父が「魚増」という鮮魚店を営み、家計に困窮していたわけでは無かった。

かたや智恵美は、師匠である柳家三亀松とのいわば喧嘩別れで失職した父、病床で寝たり起きたりの母、また3人の兄、これだけのものを背負っていた。

長兄も陸軍士官学校出身で英語も堪能なエリートだったが、戦後の価値観の変化などで順調とは行かず、結局、父がマネージャー、長兄が付き人という3人4脚での芸能活動が、1949年、12歳のころからスタートすることになった。

進駐軍のキャンプまわりの仕事をこなしていくうちに智恵美はドリス・デイの「アゲイン」などを習得し、ジャズ歌手への志向を高めていく。

進駐軍のアイドルとなり、愛称は「エリー」となる。

芸名の江利チエミはこの「エリー」から母が名づけた。

特にチエミをかわいがってくれた進駐軍兵士ケネス・ボイドからその後の「運命の曲」となる「テネシーワルツ」のレコードをプレゼントされる。

この曲を自分のデビュー曲と心に決めるも、レコード会社のオーディションにことごとく失敗する。

なんとか最後の頼みの綱であるキングレコードにパスし、1952年1月23日に自分の意志を貫き「テネシーワルツ/家へおいでよ」でレコードデビューを果たす。


酒場にて


1974年9月25日発売された江利チエミのシングルレコード

作詞:山上路夫、作曲:鈴木邦彦

オリコンチャートの最高位は22位だったがロングセラーとなり、翌1975年のオリコン年間順位は第67位にランクされ、江利自身久々のヒット曲となった。

1969年末の『第20回紅白歌合戦』で落選以降は、江利自身「ヒット曲が無いので…」とNHK紅白歌合戦への出演を拒否し続けていた。

同曲のロングヒットで、1974年末の『第25回紅白歌合戦』及び翌1975年末の『第26回紅白歌合戦』でNHKから再びカムバック出場の打診があった。

1968年末の『第19回紅白歌合戦』以来の復帰出演なるかと思われ、初の紅組トリを飾ってもおかしくないと言われたが、この時も江利は「もう紅白は卒業したので、二度と出る気はありません」と、NHKから紅白再出場への打診を頑なに拒んでいた。

Wikipedia

前回、ニック・ニューサを掲載しましたが、(酒場にて)を1983年にニック・ニューサがカバーしてシングルとして発売していることを発見し、本日この曲を掲載しました。

1974年の曲ですので、その当時この曲がヒットしたことは記憶にないのですが、この曲は知っていました。やはり80年代になってもカラオケで唄う人が多かったことで、私もそれを聴いていい曲だなと思っていました。

江利チエミは、シングルちょうど100曲出しているんですね!50年代、60年代に多くのヒット曲に恵まれたようです。70年代から80年代にかけては、この曲が唯一のヒット曲になるのだと思います。

詞の内容からだと女性歌手が唄ったほうがいいなと思いました。江利チエミの歌い方がまたいいですね!少し演歌調のところが、この曲にぴったりです。

カバーしている歌手も多いです。カバー動画たくさん掲載しました。








テレサ・テン


村上幸子


野路由紀子


市川由紀乃


雪村いづみ


五木ひろし


ニック・ニューサ



posted by aritama at 12:37| Comment(0) | 江利チエミ
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