2018年10月11日

和泉雅子・山内賢(二人の銀座)

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和泉雅子


東京都中央区銀座出身の女優

1961年に日活へ入社。以降、青春映画に多数出演し、吉永小百合と松原智恵子と合わせて「日活三人娘」と呼ばれ、絶大な人気を誇った。

雑誌『近代映画』の「オールスター投票・女優部門」では、1964年から1968年まで5年連続でベスト10入りし、特に1966年・1967年には吉永小百合に次いで2年連続で2位にランクインしている。


山内賢


東京都北区出身の俳優・歌手・司会者

1955年『姿なき目撃者』で「久保賢」の芸名で子役として、デビューする。

その後、東宝作品に出演。1962年4月1日、日活と契約し芸名を「山内賢」に改める。

多くの日活映画に出演する。第一作目は『雲に向かって起つ』。

1960年代にブームとなる日活純愛・青春路線を支えた。

和泉雅子との共演作が多く、なかでも鈴木清順が監督した『悪太郎』『悪太郎伝 悪い星の下でも』は、代表作である。

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二人の銀座


1966年ザ・ベンチャーズが日本で発売したシングル。のちに和泉雅子・山内賢の二人がデュエット曲としてカバーし、シングルとして発売した。

ベンチャーズが銀座の夜景からイメージして作曲。

当初は越路吹雪に提供したが、曲を聴いた越路が自分より和泉雅子がデュエットで歌ったほうがいいと判断し、和泉に譲った。

永六輔が詞をつけ、山内賢とのデュエット曲としてリリースし、大ヒットした。

累計売上は100万枚以上。

和泉雅子・山内賢(二人の銀座)写真.jpg

wikipedia

ベンチャーズは日本の歌手に多くの曲を提供していますが、この曲はその代表的な曲ですね

和泉雅子は銀座出身とは驚きでした。その当時は銀座が日本で最先端の街でした。

ベンチャーズの「Ginza Lights」の動画もありました。








GINZA LIGHTS

posted by aritama at 15:22| Comment(0) | デュエット
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