2018年09月20日

水前寺清子(涙を抱いた渡り鳥)

水前寺清子(涙を抱いた渡り鳥).jpg



水前寺清子


熊本市中央区出身の演歌歌手

芸名の水前寺は故郷・熊本市の水前寺成趣園から、清子は熊本ゆかりの戦国武将・加藤清正からそれぞれ取られている。

愛称の「チータ」は、小柄だった水前寺を作詞家の星野哲郎が「ちいさなたみちゃん」と呼んだことに由来する。

動物のチーターとは直接の関係はないが、着物の柄などにチーターの意匠を用いることがある

15歳時に出場した「コロムビア歌謡コンクール」に出場し2位になる。

そのときに星野哲郎が水前寺に声を掛けたことが後のデビューのきっかけになった。

その後、歌謡コンクールを主催したコロムビアで11回もレコーディングをしたものの、レコードデビューすることはできなかった。

そこで、水前寺はクラウンレコードに移籍し、畠山みどりが歌う予定だった「袴を履いた渡り鳥」を畠山のキーのままで「涙を抱いた渡り鳥」とタイトルを変更した上で念願のデビューを果たした。


涙を抱いた渡り鳥


1964年10月15日に発売された水前寺清子のデビューシングル。

作詞は星野哲郎(有田めぐむ名義)、作曲は市川昭介(いづみゆたか名義)である。

いずれも別名義を用いたのは、星野がクラウンレコードに移籍する前、日本コロムビア専属作詞家の時に書いた作品であることと、市川はコロムビア専属作曲家であり、本来ならばクラウンの所属である水前寺の楽曲を書けないという事情による、苦肉の策であった。

元々は、クラウンの設立にあわせてコロムビアからクラウンに移籍することが取り沙汰されていた畠山みどりが移籍第1号シングルとして『袴を履いた渡り鳥』というタイトルで歌う予定だった。

しかし、畠山がコロムビアに残留することになったため、「コロムビア歌謡コンクール」に出場していながらもデビューできずにいた水前寺がクラウンに移籍し、畠山のキーのままでレコードデビューを果たした。

水前寺は本楽曲で翌1965年の「第16回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たした。

また、1979年の「第30回NHK紅白歌合戦」でも紅白30回を記念して、初出場曲である本楽曲が歌われた。

wikipedia

『袴を履いた渡り鳥』をタイトルと詞を変えてデビューし大ヒットさせました。

『袴を履いた渡り鳥』て、あれ聞いたことあるタイトルだと思っていたら、島津亜矢のデビュー曲です。たぶん、畠山みどりが歌う予定だったが公にならなかったことで、島津亜矢に歌わせたのかなと思いました。

島津亜矢の(袴をはいた渡り鳥)

水前寺清子は60年代に凄い人気でした。この曲がヒットしたことも、記憶に残っています。








posted by aritama at 16:44| Comment(0) | 60年代ヒット曲
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