2016年09月28日

北原ミレイ(石狩挽歌)

北原ミレイ


愛知県豊川市出身の演歌歌手

高校2年生より歌のレッスンに通い高校卒業後、上京。ナイト・クラブで唄いながらヘンリー・倉田をはじめ浜口庫之助にジャズ、大本恭敬にカンツォーネなど様々な作曲家に師事、その実力を磨く。

ナイトクラブで唄う姿を水原弘が注目、歌声を作詞家の阿久悠に見出され、1970年「ざんげの値打ちもない」でデビュー。

その後もコンスタントに活動を続ける。


石狩挽歌


1975年6月25日に北原ミレイが発表したシングル。1975年日本作詞大賞の作品賞を受賞。

作詞なかにし礼 作曲浜圭介

八代亜紀、森昌子、石川さゆり、坂本冬美、細川たかし、氷川きよし、門倉有希、水森かおり、新井英一らも歌っている。

挽歌とはエレジー、つまり悲しみを表現したうたのことである。

石狩の海の鰊(ニシン)漁を舞台に、大きな夢を見て それをつかめないままに終わってしまう男、そんな男と人生をともにする女の気持ちが、鮮やかな情景とともにうたわれている。

なかにし礼自身の幼少時の体験、兄に対する複雑な気持ち、人生に対する想いが織り込まれている。

なかにし礼には、15歳年上の、破滅傾向で疫病神のような兄 正一がおり、その兄が引き起こすトラブルや葛藤が人生にしつこくつきまとった。

幼少時、なかにし家は貧困の中にあり、兄はバクチのような鰊漁を行ったことがあり、せっかく大漁に恵まれたのに、それで満足せず、わざわざ本州まで運んで高く売ろうとしたために、結局せっかくの鰊も腐らせてしまい、全てを失い膨大な借金だけが残ってしまった。

そして一家は離散することになった。なかにしの内にある、そうした原体験とでも呼べるようなものがこの歌には込められているのである。

ある時期、なかにし礼は作詞に行き詰まっていたが、そこに兄が現れ、兄自身が「鰊のことを書けばいいじゃないか」と言ったという。

そうしてこの作品は生まれた。

ただし、こうした体験をただそのまま表現しただけでは なかにしの体験をしていない人の心にはすんなり響かないだろうから、聞く人と気持ちを共有できる言葉を詩に織り込んだ、といった主旨のことを なかにし礼はあるテレビ番組のカメラに向かい語っていたことがある。

小樽市の西北に位置する祝津岬にある鰊御殿の旧青山別邸(小樽市祝津3丁目63)には、石狩挽歌の記念石碑と なかにし礼直筆の歌碑がある。

wikipedia

この歌が、なかにし礼の実体験で兄の歌だとは驚きました。だからこの歌には迫力があるんでしょうね

鰊御殿が建つほど大量にニシンが取れた時代が実際にあったんです。だからなかにし礼の兄だけではなく、ニシンで大儲けした人もいれば、またこの歌のとおりニシンが全然獲れなくなり借金を背負った人もいたわけです。

連続テレビ小説「マッサン」で風間杜夫が演じた森野熊虎がまさに、この歌の人物と同じではないでしょうか

北原ミレイの若い頃の動画がないのが残念ですが、曲だけでも十分満足できる曲です。

そして八代亜紀も歌っていますが、動画ありました。この動画はいいですよ!他人船と石狩挽歌の二曲歌っています。少し字幕が邪魔ですが聴いてください。






石狩挽歌 (MEG-CD)



八代亜紀の(石狩挽歌)

posted by aritama at 15:30| Comment(0) | 北原ミレイ
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