2019年08月19日

五月みどり(おひまなら来てね)




五月みどり


東京都江戸川区出身の歌手、タレント、女優

父は終戦時に仲間と近所に芝居小屋を建て、昼は肉屋、夜は役者という生活をしていた。

8人兄弟の長女、「江戸川区の大野精肉店の長女として生まれました。その後12年の間に姉弟は8人になり、母は大変だったでしょうね。」と述べている。

6歳から日本舞踊を初め、8歳で舞台に立ち、父は芝居に厳しくセリフを覚えられないと学校に行かせてもらえなかった。

歌が好きでラジオの「のど自慢大会」などに出たが成績は振るわず、1956年、ニッポン放送『ものまねのどじまん』で優勝、審査員だった作曲家の宮城秀雄から「歌手を目指さないか」と言われ宮城のところで修行することに、16歳でキャバレーでの初舞台を踏んだ時「天才少女現る」と話題になり、その際大野フサ子という本名が地味だと宮城が「五月みどり」という名前を考え、由来は5月だったので緑の芽がすくすく伸びるようにと、五月自身も明るく華やかな名前で気に入っている。

1958年11月、「お座敷ロック」でレコードデビュー。


おひまなら来てね


1961年5月に発売された五月みどりの大ヒットレコード。

作詞:枯野迅一郎、作曲:遠藤実

それまでの歌手にはなかった愛らしくチャーミングな美貌とともに、奇麗な「ちりめんビブラート」を生かしたこの歌は大ヒットとなる。

翌1962年には紅白歌合戦に初出場。

Wikipedia

60年代前半は、五月みどりの人気は凄かったようですね、五月みどりが、紅白歌合戦で歌唱したとき瞬間最高視聴率85.3%を叩き出したそうですよ、日本中のほとんどの家庭が観ていたということですね

70年代になると、歌手より女優として大人気になりました。女優と言ってもポルノ女優です。私も五月みどりのイメージは熟女ポルノ女優です。

1975年に『五月みどりのかまきり夫人の告白』が大ヒットしています。

男性が好む容姿と雰囲気を持っていました。
















posted by aritama at 13:52| Comment(0) | 60年代ヒット曲