2018年09月27日

城卓矢(骨まで愛して)

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城卓矢


大日本帝国 樺太出身の歌手、作曲家

本名・作曲家名は菊地 正規、1966年の改名前の芸名は菊地 正夫。

ヨーデルを得意とし、独特のハスキー・ボイスとこぶし回しが特徴で魅力的な声の持ち主であった。

『骨まで愛して』のヒット後の一時期、映画俳優としても活動した。

1935年(昭和10年)11月28日、当時日本領であった樺太(現在のロシア共和国サハリン)に生まれる。兄の正巳はのちの作曲家・北原じゅん(文れいじ)、作詞家・川内康範は叔父(叔母の元夫)にあたる。第二次世界大戦中に父が死去、引き揚げて室蘭市で育つ。

長じて上京し、横浜市中区の曙町に住む。

ウィリー・ジェームズとともにブルー・コースターズとして活動していた瀬谷福太郎が、『NHKのど自慢』に出場してハンク・ウィリアムズの『ロング・ゴーン・ロンサム・ブルース』を歌い、満点を獲得した菊地を発見、同バンドに加入させる。

同時に、ウイリー沖山にヨーデルを師事、同時期の沖山の弟子には山下敬二郎がいた。

同バンドでのヴォーカリストとしての活動と平行し、横須賀で流しのシンガーとしても活動する。

ウイリー沖山の独立後、同バンドは解散し、菊地はカントリー&ウェスタンの歌手となり、1958年、東京・有楽町の日本劇場で行なわれた第1回「日劇ウエスタンカーニバル」にウエスタン・キャラバンメンバーとして出演する。

テイチクレコードと契約、1960年に菊地正夫の名で、ザ・コースターズをバックに、シングル『ひとりぽっちで』でデビューする。

1966年1月、城卓矢と改名、心機一転して『骨まで愛して』をリリース、140万枚を売り上げる大ヒットを飛ばして有名歌手の仲間入りを果たす。

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骨まで愛して


1966年1月に城卓矢がリリースしたシングル大ヒット曲

本作は、親戚にあたる川内康範がプロデューサーとなり、作詩は川内の妻『川内和子』名義で川内が書き、兄の北原じゅんが『文れいじ』名義で曲を書いた、再デビュー曲である。

140万枚を売り上げるミリオンセラーとなる。

川内は本楽曲を原作に脚本を書き、日活が渡哲也主演で映画化、本楽曲は同作の主題歌となり、城卓矢も本人役で同作に出演している。

wikipedia

この曲は大ヒットしましたね、なにしろ題名が(骨まで愛して)ですので、かなりのインパクトがあります。城卓矢の歌い方にも個性がありました。

この曲の映画があったのは初めて知りました。その当時のポスターを掲載しましたが、浅丘ルリ子、渡哲也、松原智恵子が主演のようで、映画もヒットしたのだと思います。この映画観てみたいですね








美空ひばり


蘇宥蓉

posted by aritama at 15:07| Comment(0) | 60年代ヒット曲

2018年09月20日

水前寺清子(涙を抱いた渡り鳥)

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水前寺清子


熊本市中央区出身の演歌歌手

芸名の水前寺は故郷・熊本市の水前寺成趣園から、清子は熊本ゆかりの戦国武将・加藤清正からそれぞれ取られている。

愛称の「チータ」は、小柄だった水前寺を作詞家の星野哲郎が「ちいさなたみちゃん」と呼んだことに由来する。

動物のチーターとは直接の関係はないが、着物の柄などにチーターの意匠を用いることがある

15歳時に出場した「コロムビア歌謡コンクール」に出場し2位になる。

そのときに星野哲郎が水前寺に声を掛けたことが後のデビューのきっかけになった。

その後、歌謡コンクールを主催したコロムビアで11回もレコーディングをしたものの、レコードデビューすることはできなかった。

そこで、水前寺はクラウンレコードに移籍し、畠山みどりが歌う予定だった「袴を履いた渡り鳥」を畠山のキーのままで「涙を抱いた渡り鳥」とタイトルを変更した上で念願のデビューを果たした。


涙を抱いた渡り鳥


1964年10月15日に発売された水前寺清子のデビューシングル。

作詞は星野哲郎(有田めぐむ名義)、作曲は市川昭介(いづみゆたか名義)である。

いずれも別名義を用いたのは、星野がクラウンレコードに移籍する前、日本コロムビア専属作詞家の時に書いた作品であることと、市川はコロムビア専属作曲家であり、本来ならばクラウンの所属である水前寺の楽曲を書けないという事情による、苦肉の策であった。

元々は、クラウンの設立にあわせてコロムビアからクラウンに移籍することが取り沙汰されていた畠山みどりが移籍第1号シングルとして『袴を履いた渡り鳥』というタイトルで歌う予定だった。

しかし、畠山がコロムビアに残留することになったため、「コロムビア歌謡コンクール」に出場していながらもデビューできずにいた水前寺がクラウンに移籍し、畠山のキーのままでレコードデビューを果たした。

水前寺は本楽曲で翌1965年の「第16回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たした。

また、1979年の「第30回NHK紅白歌合戦」でも紅白30回を記念して、初出場曲である本楽曲が歌われた。

wikipedia

『袴を履いた渡り鳥』をタイトルと詞を変えてデビューし大ヒットさせました。

『袴を履いた渡り鳥』て、あれ聞いたことあるタイトルだと思っていたら、島津亜矢のデビュー曲です。たぶん、畠山みどりが歌う予定だったが公にならなかったことで、島津亜矢に歌わせたのかなと思いました。

島津亜矢の(袴をはいた渡り鳥)

水前寺清子は60年代に凄い人気でした。この曲がヒットしたことも、記憶に残っています。








posted by aritama at 16:44| Comment(0) | 60年代ヒット曲