2016年04月30日

宮史郎とぴんからトリオ(女のみち)

宮史郎とぴんからトリオ


宮 史郎は、 兵庫県加西市出身の演歌歌手。

宮五郎(宮史郎の兄)・並木ひろしと共に音曲漫才ぴんからトリオを結成。

グループ名の由来は「ピンからトリを」からである。

1972年(昭和47年)、東宝芸能所有の大阪梅田の演芸場『トップホットシアター』に出演していた時期に自主制作したレコード「女のみち」が、有線放送と地道な営業から火が付き420万枚を売り上げた。


女のみち


1972年5月10日に発売されたぴんからトリオのデビューシングル。

作詞は宮史郎、作曲は並木ひろし。

1971年、ぴんからトリオの結成10周年記念(ぴんからトリオの前身の「スパローボーイズ」の結成から数えて)として彼らの自作曲であるこの曲を自主制作で300枚プレスし、有線放送で流したところ大きな反響があった。

そして1972年、第一プロダクションの協力により日本コロムビアからレコード発売が決定すると爆発的なヒット曲となった。

オリコン週間1位、1972年度年間1位、1973年度年間1位

以上wikipediaより抜粋




浪花の演歌師 宮史郎とぴんからトリオ


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2016年04月28日

鶴田浩二(傷だらけの人生)

鶴田浩二


静岡県浜松市出身の俳優、歌手

昭和を代表する映画スターとして数多くの映画やドラマに主演した。歌手としても多くのヒットを出し、独特の歌唱法でも有名だった。

戦後派として登場し、その抜群の風貌と時々のぞかせる甘い表情と陰りで一躍トップスターに躍り出た。

初期はその甘い表情でアイドル的人気を博したが、中年期からは任侠映画や戦争ものでみせた渋い魅力で、日本映画を代表する大スターとして長らく君臨した。

また、独特の哀愁を帯びた声と歌唱法により、歌手としても人気が高かった。


傷だらけの人生


作詞:藤田まさと 作曲:吉田正

「古い人間」が「今の世の中」を憂う詩は、藤田まさとが「鶴田浩二」をイメージして書き下ろしたもので、それに吉田正が曲をつけた。

発売から3ヶ月ほどでオリコンチャートトップ10に初登場、累計で100万枚近い売上げを記録。

1971年7月に発売になったアルバム『男/傷だらけの人生』は最高位2位を記録。

1971年には、この曲をテーマに『傷だらけの人生』と『傷だらけの人生 古い奴でござんす』の二本の映画が作られた。

鶴田浩二がマイクにハンカチを沿え耳に手を当てて歌う姿は、「手が脂性であったことと、従軍時に耳を傷めて演奏のリズムが取りにくかったことが理由である」と本人が明言している。

以上wikipediaより抜粋

鶴田浩二の歌い方が特徴的で皆真似て歌ってました。




傷だらけの人生 [EPレコード 7inch]


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2016年04月27日

村木賢吉(おやじの海)

村木賢吉


秋田県鹿角市出身の演歌歌手。

当時父親が働いていた三菱金属鉱業に入社、尾去沢鉱山から直島製錬所に転勤。同所で勤務中、同じ職場で直島出身の佐義達雄と意気投合。

1972年、真木島人(まき しまんど)の芸名で「土方渡世/漁師一代」を出すが一部に注目されるだけで終わった。

同年に佐義の作詞作曲、村木の唄で演歌「おやじの海」を500枚自主制作するも、翌1973年には御殿場に転勤。

「おやじの海」はその後当人ですら存在を忘れかけていたが、1977年に北海道釧路市の有線放送から人気に火がついて数か月で全国に広がり、1979年の大ヒット曲となった。

47歳の新人歌手は各方面から注目を浴びて140万枚以上のセールスを記録、全日本有線放送大賞最優秀新人賞を受賞。

佐義も日本作詞大賞大衆賞を受賞。

1979年の第21回日本レコード大賞では企画賞を受賞。銀座音楽祭にも出場したが、NHK紅白歌合戦への出場はならなかった。同年三菱金属鉱業を退社して歌手業に専念。


おやじの海


作詞・作曲:佐義達雄

1972年に発売し、1977年〜1979年に大ヒットした曲

wikipedia

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